HELLOCOFFEE
アメリカ大陸の地図とコーヒーの歴史
はじめに

アメリカでのスペシャルティコーヒーのはじまりと歴史

スターバックスをはじめ、多くのカフェで高品質なスペシャルティコーヒーが飲める現在のアメリカ。コーヒーがアメリカで飲まれるようになったのは、ヨーロッパよりもずっと後になってからでした。20世紀になってからも、スペシャルティコーヒーと呼ばれるようなコーヒーは、一般的に楽しまれる飲み物ではありませんでした。スターバックスの歴史を通して、スペシャルティコーヒーの歴史をたどってみましょう。

1773年 ボストン茶会事件

アメリカのコーヒーの歴史は、18世紀初頭までさかのぼります。コーヒー文化の急速な発展を促したのが、1773年の「ボストン茶会事件」です。イギリス議会がアメリカにおける茶税ならびに、茶法を制定したことに抗議するため、デモ参加者はイギリス東インド会社が輸送した茶箱の貨物をすべてボストン港に投棄しました。

その出来事の後、多くのアメリカ人が紅茶を飲まないことを愛国的な義務と考えるようになったため、毎日飲むのに最適なホットビバレッジとしてコーヒーの人気が高まりました。でも、アメリカにヨーロッパのようなコーヒーハウス文化が根づいたのは、ずっと後のことです。

20世紀になり、蒸気式のエスプレッソマシンがアメリカに到来。以降、イタリアンレストランでは、エスプレッソビバレッジが提供されるようになり、大都市にはコーヒーハウスが誕生しました。

1966年 ピーツ・コーヒー&ティー設立

コーヒーの木とコーヒーチェリーのイラスト

アルフレッド・ピートは、注文に応じてカスタマイズされたコーヒーの焙煎をアメリカに導入した人物として、功績を認められています。

オランダ人コーヒー焙煎職人の息子だったピートは、第二次世界大戦後にオランダを離れ、ロンドン、東インド諸島、ニュージーランドへと赴き、様々なコーヒーやティーの会社でテイスターやバイヤーを勤めました。1955年、コーヒーの輸入業者としてサンフランシスコにやって来たピートは、低品質なアメリカのコーヒーに愕然。自分で焙煎をはじめ、1966年、カリフォルニア州バークレーでピーツ・コーヒー&ティーを設立しました。

コーヒー豆の風味を完全に引き出すには深煎りが最適な方法だと考えていたピートは、コーヒーをヨーロッパ風に深煎りで焙煎しました。コーヒーが大量に消費されていたアメリカで、品質に重きを置いたコーヒーの潮流は、こうして始まったのです。

1971年 スターバックス誕生

最初のスターバックス店舗のイラスト

アルフレッド・ピートから深煎りの焙煎法を学んだ3人の弟子が、サンフランシスコ大学の同窓生だったジェリー・ボールドウィン、ゼブ・シーゲル、ゴードン・バウカーです。彼らは、ピートが提供していたスペシャルティコーヒーを、シアトルにも持ち込みたいと考えていました。ピートはコーヒーのビジネスにおいても3人の良き指導者でした。

1971年、3人は最初のスターバックスの店舗をシアトルにオープンしましたが、このとき彼らは、抽出したコーヒーを販売することはしませんでした。提供していたのは、焙煎したてのコーヒー豆。お客様は、そのコーヒー豆を求めて訪れたのです。風味を引き出すための深煎り、それが、ピートが彼らに教えた方法でした。

1982年 ハワード・シュルツの入社

イル・ジョルナーレのロゴイラスト

1982年、ハワード・シュルツがマーケティングと営業の責任者としてスターバックスに入社しました。入社一年目、ハワードはイタリアのミラノに出張し、エスプレッソバーを体験。そのコンセプトと美学に夢中になり、シュルツの中にイタリアのコーヒーハウスの伝統をアメリカに持ち帰るというビジョンが生まれました。それは、職場と自宅の間の「第3の場所(サードプレイス)」として、会話やコミュニティを楽しめる場所をつくるというものです。

ハワードが、コーヒーの焙煎のみを集中的にやりたかったスターバックスのオーナーたちを説得して、彼のコンセプトを試してもらえるまでには一年かかりました。最終的にオーナーたちは、シュルツにイタリアンスタイルのエスプレッソバーを設営するための約30平方メートルのスペースを提供。1984年4月、店舗はオープンし、スターバックスではじめてのカフェ ラテが提供されました。

イタリアンスタイルのコーヒーハウス体験は、すぐにシアトルの人々を惹きつけました。2カ月も経たないうちに、1日あたり800人のお客様にコーヒーが提供されるようになりました。バリスタたちはまだ、エスプレッソビバレッジを素早く作ることができませんでしたが、反響が大きかったため、ハワードは明るい未来を想像しはじめました。

ところが、スターバックスのオーナーたちは、エスプレッソバーの運営は高品質のアラビカ種のコーヒー豆の小売りという中核ビジネスから外れていると感じていました。彼らはお客様に、スターバックスをテイクアウトのコーヒーを素早く手に入れられる場所だと思ってほしくなかったのです。

結果、ハワードはスターバックスを離れ、1986年にシアトルの中心街にスターバックスのコーヒーを提供する「イル・ジョルナーレ」という彼自身のコーヒーハウスを開店しました。

1987年 ハワードによる買収と新たな一歩

1987年、イル・ジョルナーレの開店と経営を成功させたハワードに、当時シアトルの6店舗で成り立っていたスターバックスを買収するチャンスが与えられました。同年3月、スターバックスは新しく生まれ変わり、ハワードと彼のチームは、次の5年間で125店舗をオープンすることを投資家たちに約束しました。

1992年までにスターバックスは165店舗にまで成長し、市場を5つ(ワシントン州、カナダのブリティッシュコロンビア州バンクーバー、イリノイ州シカゴ、オレゴン州、カリフォルニア州)に広げ、上場企業となりました。

それ以来、スターバックスは驚異的な成長とイノベーションを経験しました。1996年には、スターバックスにとって最初の北米以外の海外店舗となる銀座松屋通り店が東京にオープンしています。今では世界75カ国以上に3万以上の店舗を構えるまでに成長しました。

2014年 スターバックス リザーブ® ロースタリー誕生

2014年シアトルにオープンした最初のスターバックス リザーブ® ロースタリーのイラスト

2014年、シアトルに最初のスターバックス リザーブ® ロースタリーがオープンしました。ここは、コーヒーに対する情熱を称える場所として着想された、美しい没入型のスペースで、劇場のようでありながら、実験の場所のようでもあります。

熟練した焙煎職人(マスターロースター)、バリスタ、そしてミクソロジスト(フレッシュな素材をスピリッツなどの酒と組み合わせたカクテルを作るバーテンダー)が自らの技術を鍛錬し、スターバックス リザーブ®のコーヒーを格別な体験とともに提供しています。

以降、スターバックス リザーブ® ロースタリーは、中国の上海、イタリアのミラノに開店したほか、東京の中目黒、ニューヨーク、シカゴにもオープンしています。

スターバックスは、無限の可能性を持つコーヒー豆のストーリーに関わってこられたことを誇りに思っています。そして私たちは、これほど多くの場所でたくさんの人々とつながりを持てたことを忘れることはありません。私たちは自分たちがやっていることを愛していますが、今後数年のうちにこの愛がどのような新しい形を取っていくのかは、誰にもわかりません。同時に私たちは、コーヒージャーニーのスタート地点に立ったばかりであるかのようなわくわくした気持ちも感じています。

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